イエスは聖書が示す通り、私たちの罪のために死んだ。そして3日後に復活して弟子たちに現れた。

目次

イエスの弟子たちが伝えたこと

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれた こと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。

① キリストは、聖書の示す通り、私たちの罪のために死なれた。

キリストの死は、神が計画されたことだった。
その目的は、キリストが身代わりに刑罰を受けることで、信じる人の罪をゆるすためであった。

今から、約2020年前、イエスは十字架にかけられて殺されました。
イエスが人々から慕われていたことを、宗教学者たちがねたんで、無罪のイエスを殺しました。

しかし、イエスの死は、旧約聖書に預言されていました。ですから、このことは偶然とか、人の計画で起きたのではなく、神の計画に従って起きたのです。

キリストの死は「身代わりの死」であった。
ご自分に頼る者の「罪をゆるし」、「神のさばき」からのがれさせる。

イエスの死は、「身代わりの死」です。本来、私たちが受けなければならない罪の刑罰を、イエスが身代わりに受けられたのです。その目的は、ご自分に信頼する者の「さばき」をまぬかれさせるためです。
イエスは、信じる人を罪の刑罰から救う「救い主=キリスト」となられました。

神が、私たちが受けるべき罪の刑罰を、身代わりに受けてくださり、私たちの罪がゆるされる道を備えてくださったのです。

② 葬られた。

イエスは完全に死んで墓に入れられた。仮死状態だったのではない。

十字架から降ろされたとき、イエスは仮死状態だったと言う人がいます。
イエスが死んだことを、兵士たちは確認しました。十字架から降ろす前に、胸をやりでつきました。また、この日は金曜日でした。安息日が夕方から始まろうとしていました。ユダヤ人たちは、安息日に労働をしてはならないと定められていました。そのため、彼らは十字架に罪人をかけたままにすることができませんでした。そこで、まだ息がある受刑者は、足の骨を折って死の時刻を早め、死んでのち、十字架から降ろしました。しかし、イエスの場合、すでに死んでいたために、足の骨を折ることはされませんでした。(ヨハネ19章31-37節、マルコ15章44-45節をご覧ください)

誰かがイエスの死体を盗んだのでもない。

弟子たちがイエスを墓から盗み出して、生き返ったと証言したと考える人がいます。
しかし、イエスの墓の入り口は大きな石でふさがれていました。生前イエス自身が、ご自分の復活を弟子たちに預言しておられたので、それを知っていたユダヤの総督は、墓を兵士に見張らせていました。
さらにm墓には封印がされていました。マタ27章62-66節をご覧ください)

③ 聖書に従って、3日目によみがえられた。ケパ(ペテロ)に現れ、12弟子に現れた。

イエスは死後3日目によみがえった。墓の前で、女たちに現れた。

イエスが、十字架にかけられたのは、金曜日の早朝でした。
その日の午後3時ごろ、イエスは死にました。

その地方の有力者で、イエスの信者であったアリマタヤのヨセフがイエスの死体を引き取って、自分が使っていなかった墓にイエスの死体を納めました。そして、人々は当時の慣習に従って安息日に休みました。(当時、土曜日は安息日と呼ばれ、いっさいの労働をしてはいけない日とされていました。)
日曜日の早朝、女たちがイエスの体に香油を塗るために、墓にやってきました。すると墓の入り口にあった大きな石がころがされてあり、兵士たちもいませんでした。
女たちから知らせを聞いた
弟子たちは、墓にやってきて中に入りましたが、イエスの体はありませんでした。体に巻かれていた布だけが残されていました。そして、弟子たちは自分のところへ帰りました。
ヨハネ20章:1-10節)

女たちは泣きながら墓をのぞき込みました。振り向くと、イエスがそこにおられました。イエスは、ご自分が復活したことを弟子たちに知らせなさいと女たちに言われました。(ヨハネ20章:11-18節)
女たちは、イエスが復活したことを弟子たちに知らせましたが、弟子たちは信じられませんでした。

同じ日の夕方、弟子たちに現れる。

女たちが、イエスが復活したことを目撃した同じ日(日曜日)の夕方、弟子たちは迫害者たちを恐れて集まっていました。戸は閉じられていました。ところが、イエスが彼らの前に現れました。(ヨハネ2-章19-23節)

エマオを歩く2人の弟子たちに現れた。

女たちが復活のイエスを目撃した同じ日、2人の弟子がエマオに行く道を歩いていた。途中、1人の人が彼らと一緒に歩くようになった。その人はイエスであったが、弟子たちは気がつかなかった。弟子たちがいっさいの出来事についての話したり論じたりしていた。弟子たちはその人に言った。「イエスは力ある預言者で、自分たちはイエスに望みをかけていた。しかし死んでしまった。ところが女たちがイエスがよみがえったというので墓に行ってみると体がなかった。」
その人は
、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、イエスについて書いてある事がらを彼らに説き明かした。

宿に着くと、その人はパンを裂き、弟子たちに与えた。その様子を見た瞬間に、弟子たちはその人がイエスだとわかった。(イエスはいつもパンを裂いて弟子たちに与えておられた)
そのとたんイエスは、消えて見えなくなられた。(ルカ24章13-31節)

エマオから2人の弟子が帰ってきて、他の弟子たちと話していると、イエスが現れた。
弟子たちは幽霊を見ていると思った。イエスは弟子たちの前で魚を食べた。

 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。

これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」

それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。ルカによる福音書24章35-43節

疑うトマスの前に現れた。

イエスが現れたとき、弟子のトマスはいませんでした。
イエスが復活したことを聞いてトマスは疑いました。
そして、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また 私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
(十字架刑では手首にくぎを打った。兵士はイエスのわき腹をやりで刺した。トマスが言ったことの意味は、その方が確かにイエスかどうか自分で確かめなければ信じないという意味。)

その8日後、弟子たちが室内におり、部屋の戸は閉じられていました。トマスも同席していました。
そこに、突然、彼らの真ん中にイエスが立たれました。そして、「平安があるように」と言われました。そして、トマスに向かって言われました。
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、 信じる者になりなさい。」

復活のイエスにお会いしたトマスの疑いは晴れました。彼は次のように言いました。
 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
トマスは復活したイエスを見て、イエスが神だとわかったのです。

イエスは彼に言われました。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20章:24-29節)

これらのことの後、復活のイエスは、ペテロに現れた。

弟子のペテロとアンデレは漁師でした。イエスが死んだ後、彼らは漁師に戻っていました。その日、彼らが漁を終えて岸辺に戻ってくると、イエスが岸辺に立っておられました。はじめ、彼らはその方がイエスだと気づきませんでした。
しかし、ペテロが気づき、海に飛び込んでイエスのところまで行きました。
イエスは彼らのために朝食を用意しておられました。彼らはイエスと一緒に食事をしました。
(ルカ21章1-25節)

④ イエスは、500人以上の兄弟たちに同時に現れた。
そのうちの大多数の者は今なお生き残っている。

イエスは復活して、500人以上の兄弟たちに同時に現れた。

これは使徒パウロが、コリント教会に当てた手紙に書かれています。このことが書かれたとき、すでに死んだ者もいるが、大多数は生き残っているとあります。当時、イエスの復活を目撃した人たちが多数いました。このことは人々に広く知られる事実であったために、反対者たちは沈黙するしかありませんでした。(第1コリント15章6節)

3、復活は聖書に預言されていた。イエスも自分の死と復活を予告していた。

死と復活は聖書が示すとおりに起こった。

神は、さまざまな時代を通して、預言者たちにご自分の計画の断片を語られました。
その記録が、旧約聖書の中の「預言書」に記録されています。
預言者たちは、救い主=メシヤの到来を預言しました。
メシヤがどのようなお方か、何をするか、どのように死ぬかなど、彼らは
具体的に預言しました。
イエスは、旧約聖書に書かれた300以上もの預言を実現しました。
最後には、預言の通りに死なれ、復活されました。

イエスはご自分の「よみがえり」を預言していた。しかし、弟子たちは信じられなかった。

イエスは弟子たちに、ご自分の「死とよみがえり」を何度も預言していました。
しかし、弟子たは何のことかわからず、そのことが本当に起きるとは思っていませんでした。
イエスが復活されて後、はじめて、弟子たちはイエスの言葉を理解しました。

1回目の予告 : イエスは、ご自分の死と復活を否定するペテロをしかった。
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらな ければならないことを弟子たちに示し始められた。 するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思って いる。」マタイ16:21-23

2回目の予告 :イエスのいやしや奇跡を見て人々が驚嘆しているとき、ご自分の死を予告した。
「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」
しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。
ルカ9:44,45

3回目の予告:エルサレムに入る直前、自分の死と復活を預言した。
 「さあ、これから、わたし たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼 らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打 ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」マタイ20:18,19

この出来事が伝える、私たちへの重要なメッセージとは何か?


①キリスト・イエスは、全ての人の神である。

イエスは復活した。神以外、誰も生き返ることはできない。

この世の全てを創造した神がおられた。
悔い改めて、この神を信じなければならない。

私たちはこの神を拝みもせず感謝もしてこなかった。
それどころか、違う神々を拝んでいた。

イエスは私たちの罪のために死んだ。
イエスは私たちを神のさばきから救う「メシヤ=救い主」。

私たちは汚れており、このままでは天国に入ることができない。
イエスは、私たちの「罪のいけにえ」となって死んでくださった。
神が、人のために、罪をとりなす仲保者となられた。
イエスは、私たちを天国に入れる「救い主」。

>Jesus was rizen from the dead.

Jesus was rizen from the dead.

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。」
(ヨハネ11:25〜26)