- 1 イエスの弟子たちが伝えたこと
- 2 この出来事が伝える、私たちへの重要なメッセージとは何か?
- 3 ①キリスト・イエスは、全ての人の神。
- 4 ②この世の全てを創造した神がおられた。 悔い改めて、この神を信じなければならない。
- 5 ③イエスは私たちの罪のために死んだ。 イエスは私たちを神のさばきから救う「メシヤ=救い主」。
イエスの弟子たちが伝えたこと
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。
聖書 第1コリント15章1-8節より
弟子が伝えたこと1:キリストは、聖書の示す通り、私たちの罪のために死なれた。
キリストの死は、神が計画されたことだった。
今から、約2020年前、イエスは十字架にかけられて死にました。
それは、自分が犯した罪の刑罰を受けてたためではありませんでした。
イエスは、神であられたので、罪を犯すことがなかったからです。
当時の宗教学者たちが、イエスの人気をねたんで殺したのです。
しかし神は、人間の悪意すら、ご自分の救いの計画のために用いられました。
イエスの死は、何百年も前に預言者たちによって預言されていました。
偶然の積み重ねや、人の策略が原因で死んだのではありません。
イエスの死は預言の成就です。イエスは神の計画に従って死なれました。
イエスの死は、身代わりの死。
信じる者の罪をゆるすために、死後のさばきから逃れせるために死んだ。
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」へブル書9:27
イエスの死は、「身代わりの死」です。本来、私たちが受けなければならない罪の刑罰を、イエスが身代わりに受けられたことによる死です。
その目的は、ご自分を信じる者が、死後に受ける「神のさばき」をまぬがれさせるためです。
イエスは、信じる人を罪の刑罰から救う「救い主=キリスト」です。
<私たちが知らなかった良い知らせ>
イエス・キリストが、イエスを信じる人が受けるべき罪の刑罰を身代わりに受けてくださり、信じる人の罪がゆるされる道を備えてくださったのです!
弟子が伝えたこと2:キリストは、葬られた。(完全に死んだ)
イエスは仮死状態だったのではない。
十字架から降ろされたとき、イエスは仮死状態だったのではないかと疑う人たちへ。
ローマ兵は、イエスが死んだことを確認してから、イエスを引き渡した。
イエスが死んだことを、兵士たちは確認しました。十字架から降ろす前に、胸をやりでつきました。また、この日は金曜日でした。安息日が夕方から始まろうとしていました。ユダヤ人たちは、安息日に労働をしてはならないと定められていました。そのため、彼らは十字架に罪人をかけたままにすることができませんでした。
そこで、まだ息がある受刑者は、足の骨を折って死の時刻を早め、死んでのち、十字架から降ろしました。しかし、イエスの場合、すでに死んでいたために、足の骨を折ることはしませんでした。(ヨハネ19章31-37節、マルコ15章44-45節をご覧ください)
誰かがイエスの死体を盗んだのではない。
弟子たちがイエスを墓から盗み出して、生き返ったとウソをついたと考える人へ。
墓は封印がされ、兵士たちが夜通し見張っていた。死体を盗みだすことは不可能。
しかも、弟子たちは殺されることを恐れて隠れていた。彼らに死体を盗み出す勇気は全くなかった。
イエスの墓の入り口は大きな石でふさがれていました。生前イエスが、ご自分の復活を弟子たちに預言しておられたので、それを知っていたユダヤの総督は、墓を兵士に見張らせていました。
しかも墓には封印がされていました。(マタ27章62-66節をご覧ください)
弟子が伝えたこと3:キリストは預言された通り、3日目によみがえられた。
キリストは、ペテロに現れ、12弟子に現れた。
イエスは死後3日目によみがえった。墓の前で、女たちに現れた。
イエスが、十字架にかけられたのは、金曜日の朝でした。
その日の午後3時ごろ、イエスは死にました。
その地方の有力者でイエスの信者であったアリマタヤのヨセフが、イエスの死体を引き取って、自分が使っていなかった墓にイエスの死体を納めました。そして、人々は当時の慣習に従って安息日に休みました。(当時、土曜日は安息日と呼ばれ、いっさいの労働をしてはいけない日とされていました。)
日曜日の早朝、女たちがイエスの体に香油を塗るために墓にやってきました。
すると墓の入り口にあった大きな石がころがされてあり、兵士たちもいませんでした。
女たちから知らせを聞いた弟子たちは、墓にやってきて中に入りましたが、イエスの体はありませんでした。体に巻かれていた布だけが残されていました。そして、弟子たちは自分のところへ帰りました。
(ヨハネ20章:1-10節)
女たちは泣きながら墓をのぞき込みました。振り向くと、イエスがそこにおられました。イエスは、ご自分が復活したことを弟子たちに知らせなさいと女たちに言われました。(ヨハネ20章:11-18節)
女たちは、イエスが復活したことを弟子たちに知らせましたが、弟子たちは信じられませんでした。
同じ日の夕方、よみがえったイエスが弟子たちに現れる。
女たちが、イエスが復活したことを目撃した同じ日(日曜日)の夕方、弟子たちは迫害者たちを恐れて集まっていました。戸は閉じられていました。ところが、イエスが彼らの前に現れました。(ヨハネ2-章19-23節)
エマオを歩く2人の弟子たちにイエスは現れた。
女たちが復活のイエスを目撃した同じ日、2人の弟子がエマオに行く道を歩いていました。途中、1人の人が彼らと一緒に歩くようになりました。その人はイエスでしたが、弟子たちは気づきませんでした。弟2人の弟子は、イエスについての出来事について話したり論じたりしました。弟子たちはその人に「イエスは力ある預言者で、自分たちはイエスに望みをかけていたのに死んでしまった。ところが女たちがイエスがよみがえったというので墓に行ってみると体がなかった。」と話しました。その人は、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、イエスについて書いてある事がらを彼らに説き明かしました。
宿に着くと、その人はパンを裂き、弟子たちに与えました。その様子を見た瞬間に、弟子たちはその人がイエスだとわかりました。(イエスはいつもパンを裂いて弟子たちに与えておられた)
そのとたんイエスは、消えて見えなくなられました。(ルカ24章13-31節)
エマオから2人の弟子が帰ってきて、他の弟子たちと話していると、イエスが現れた。
弟子たちは幽霊を見ていると思った。イエスは弟子たちの前で魚を食べた。
すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。
これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。ルカによる福音書24章35-43節
その8日後、疑うトマスの前にイエスは現れた。
イエスが現れたとき、弟子のトマスはいませんでした。
イエスが復活したことを聞いてトマスは疑いました。
そして、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また 私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
(十字架刑では手首にくぎを打った。兵士はイエスのわき腹をやりで刺した。トマスが言ったことの意味は、その方が確かにイエスかどうか自分で確かめなければ信じないという意味。)
その8日後、弟子たちが室内におり、部屋の戸は閉じられていました。トマスも同席していました。
そこに、突然、彼らの真ん中にイエスが立たれました。そして、「平安があるように」と言われました。そして、トマスに向かって、
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、 信じる者になりなさい。」と言われました。
復活のイエスにお会いしたトマスの疑いは晴れました。彼は次のように言いました。
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
トマスは復活したイエスを見て、イエスが神だとわかったのです。
イエスは彼に言われました。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20章:24-29節)
これらのことの後、イエスは漁をしていたペテロに現れた。
弟子のペテロとアンデレは漁師でした。イエスが死んだ後、彼らは漁師に戻っていました。その日、彼らが漁を終えて岸辺に戻ってくると、イエスが岸辺に立っておられました。はじめ、彼らはその方がイエスだとは気がづきませんでした。
しかし、ペテロが気づき、海に飛び込んでイエスのところまで行きました。
イエスは彼らのために朝食を用意しておられました。彼らはイエスと一緒に食事をしました。
(ルカ21章1-25節)
弟子が伝えたこと4:イエスは、500人以上の兄弟たちに同時に現れた。
イエスの復活を見た多くの生き証人がいた。
イエスは復活して、500人以上の兄弟たちに同時に現れた。
これは使徒パウロが、コリント教会に当てた手紙に書かれています。この手紙には、復活したイエスは500人以上の信者に現れた。復活を目撃した信者の中で、すでに死んだ者もいるが、大多数は生き残っていると書かれています。当時、イエスの復活を目撃した人たちが大勢いました。イエスの復活は人々に広く知られる事実であったために、反対者たちは沈黙するしかありませんでした。(第1コリント15章6節)
復活は預言されていた。イエスも自分の死と復活を予告していた。
イエスの死と復活は、預言されていた通りに起きた。
神は、さまざまな時代を通して、預言者たちにご自分の計画の断片を語られました。
その記録が、旧約聖書の中の「預言書」に記録されています。
預言者たちは、救い主=メシヤの到来を預言しました。
メシヤがどのようなお方か、何をするか、どのように死ぬかなど、彼らは具体的に預言しました。
イエスは、旧約聖書に書かれた300以上もの預言を実現しました。
最後には、預言の通りに死なれて復活されました。
イエスは、自分の死と復活を弟子たちに予告していた。しかし、弟子たちは信じられなかった。
イエスは弟子たちに、ご自分の「死とよみがえり」を何度も予告していました。
しかし弟子たちは、そのことが本当に起きるとは信じられませんでした。
イエスが復活されて後、弟子たちはイエスの言葉を理解しました。
1回目の予告 : イエスは、ご自分の死と復活を否定するペテロをしかった。
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらな ければならないことを弟子たちに示し始められた。 するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思って いる。」マタイ16:21-23
2回目の予告 :イエスのいやしや奇跡を見て人々が驚嘆しているとき、ご自分の死を予告した。
「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」
しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。
ルカ9:44,45
3回目の予告:エルサレムに入る直前、自分の死と復活を予告した。
「さあ、これから、わたし たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼 らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打 ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」マタイ20:18,19
この出来事が伝える、私たちへの重要なメッセージとは何か?
①キリスト・イエスは、全ての人の神。
イエスは復活した。神以外、誰も生き返ることはできない。
②この世の全てを創造した神がおられた。
悔い改めて、この神を信じなければならない。
私たちはこの神を拝みもせず感謝もしてこなかった。
それどころか、違う神々を拝んでいた。
③イエスは私たちの罪のために死んだ。
イエスは私たちを神のさばきから救う「メシヤ=救い主」。
私たちには罪があり、このままでは神にさばかれるしかない。
イエスは、私たちの「罪のいけにえ」となって死んでくださった。
神が、人のために、罪をとりなす仲保者となられた。
イエスは、私たちの罪をゆるし、神のさばきから逃れさせてくれる「救い主」。